
女装について調べていると、女装は全く一般的ではない、という言葉に出会う。
その一文に、少し首をかしげる人もいると思う。
街では女装を見かけるし、テレビでも特集されている。
自分の周りには、女装は確かに存在している。
それでも本当に、女装は一般的ではないのか。
この違和感から、少しだけ視点をずらして考えてみる。
女装は本当に「一般的ではない」のか
女装は全く一般的ではない、という言い切りに出会う。
その言葉に引っかかるのは、自然な感覚だと思う。
街を歩けば女装を見かけることがあるし、テレビでも女装が取り上げられることは珍しくない。
それなのに、一般的ではないと言われる。
このズレは、女装そのものではなく、見ている側の立ち位置から生まれている。
Wikipediaの一文が引っかかる理由
Wikipediaの女装の項目に書かれていた。
『日本では法的に禁止されていないものの、全く一般的ではない行為である。』
一般的ではない、という表現は、少し強く感じる。
女装をしている側からすると、身近に女装があり、女装をしている人間同士で情報も回っている。
その世界にいると、女装は特別なものには見えなくなる。
だからこそ、この一文に違和感が生まれる。
事実かどうか以前に、感覚として噛み合わなず「時代遅れなんじゃないの?」って思う。
女装をしている側から見える世界
女装をしていると、女装がいる場所を選び、女装を理解している人がいる空間に自然と集まる。
その結果、女装はそこにあって当たり前のものになる。
だがそれは、社会全体の平均ではなく、女装をしている側が見ている、特定の風景だ。
この前提を外さないと、一般的かどうか、という言葉は、いつまでも噛み合わないままになる。
女装が多く見える場所、見えない場所
女装が多いか少ないかは、実際の人数よりも、どこに立っているかで決まる。
女装が目に入る場所と、いない場所は、はっきり分かれている。
この違いを意識すると、女装が一般的に見える理由と、そうではない理由が同時に成立する。
女装が集まる場所に行っているという前提
女装をして外に出るとき、無意識に場所を選んでいる。
女装可の店、女装を歓迎してくれる空気、同じような人が集まりやすいエリア。
そこでは女装は浮かない。
むしろ、いるのが自然になる。
だがそれは、女装が多いからではなく、女装が集まる場所に行っているからだ。
歓迎される空間と、そうではない空間
同じ街でも、空気は均一ではない。
女装に慣れている場所もあれば、女装が想定されていない場所もある。
想定されていない場所でパスできていない女装は目立つ。
視線が集まり、空気が変わる。
LGBTQの浸透と、女装の立ち位置
女装が一般的に近づいてきた、と思う背景に『LGBTQ』という言葉の浸透がある。
多様性、理解、尊重。
そうした言葉が広がったことで、異性装も受け入れられやすくなったように見える。
理解される概念と、受け入れられる行為
LGBTQという考え方が、以前よりもずっと知られるようになった。
頭では理解している。
考え方として否定はしない。
そういう人は確実に増えている。
一方で、女装という行為そのものが、日常の中で自然に受け入れられているかというと、話は別だ。
概念としての理解と、目の前の行為を受け入れることは、同じではない。
他人事と身内の話のズレ
知らない誰かが女装をしていることと、知人、同僚、家族が女装をしていること。
前者は受け流せても、後者になると感情が動く人は多い。
嫌悪感、戸惑い、困惑。
それらは、理屈ではない。
LGBTQが浸透したからといって、「女装が身近な行為として全ての人に受け入れられた」と考えるのは、少し違う気がする。
女装は理解されつつあるが、一般的ではない
女装という表現は、以前より知られるようになった。
LGBTQという言葉も広がり、考え方として理解している人は確実に増えている。
ただ、それと同時に、女装が日常の中に溶け込んだかというと、そこには距離がある。
理解されていることと、一般的であることは、同じではない。
女装に興味がない人の視界
女装をしている側から見ると、街には女装が存在しているように感じる。
だが、女装に興味がない人の視界では、女装はほとんど引っかからない。
見えていないというより、判断の対象に入っていない。
東京を一日歩いても、女装を意識して探さなければ、女装を見たという記憶は残らない。
なので、やっぱり「女装をしている人なんて実在しない」レベルで一般的ではない。
理解していても、安心とは限らない
女装という表現に理解を示す人でも、場所や状況が変わると、感じ方は変わる。
住宅街。
子供の通学路。
僕ら自身でさえ、そういう場面では少し身構えることになりそうだ。
それは否定ではない。日常を守ろうとする、ごく普通の感覚だ。
理解と安心は、同じではない。
一般的ではない前提で動くという考え方
女装が少しずつ知られるようになったのは事実だ。
ただ、その変化をそのまま現実に当てはめると、無理が出る。
職場や家族へのカミングアウト。
住宅街での外出。
人の目が集まりやすい時間帯。
一般的ではない、という前提に立つと、判断を急がなくて済む。
女装が集まる場所では問題なく過ごせても、それ以外の場所でパスできない状態なら、少し配慮したほうがいい場面はある。
それは遠慮ではなく、場に合わせるということだ。
以前書いた通り、
👉 女装は50点でも外に出られる|パスできる基準の話
パスするだけなら、それほど難しいことではない。完璧である必要もない。
まとめ
女装は、理解されつつあるが、一般的になったわけではない。
見えている世界は立ち位置で変わる。
だからこそ、無理に社会と噛み合おうとする必要はない。
一般的ではない前提に立ち、場所と状況を選びながら動く。
そうすると、女装は気軽になり続けやすくなる。