
「統計的にあなたは平均ですよ」と示されたり、「サイズより大切なのは心ですよ!」なんて言われても「黙れ!」としか思えない。
そんな綺麗事だけでは、僕ら小さいアソコの持ち主の心は癒せない。
数字上の平均なんかより他者との比較から、身近な男性集団の中での自分の位置が気になってしまうのだ。
だが、敢えて言おう。
「サイズなんて、ただの個性で大切なのは心だ!」
・・・と言っても、しっくりこないだろう。
しかし、女装をして多くの男のアソコを見て触れて咥えてきた僕が、男のアソコについて感じた気持ちは、
様々なサイズや形があって、どれも自然な個性でありことだ。
小さいアソコ(以後エコサイズ)の自分との付き合い方、アソコの多様性と自己受容について紹介しようと思う。
少しでもサイズに悩んでいる人の心のなにかを埋められればと思う。
恥ずかしさを感じるシチュエーション

まずは、小さいアソコ(エコサイズ)てあることが恥ずかしいと思ってしまう場面を挙げる。
主に4つの状況があるのではないだろうか。
エッチ相手の女子
まずエッチの相手となる女子に対する恥ずかしさだ。
エコサイズであることにより、男としての評価が下がらるのではないかと不安になる。
女子の一瞬の表情の変化や何気ない反応に過剰に敏感になり「小さいと思われていないか」「がっかりさせていないか」という不安がよぎる。これは単なる身体的な羞恥心ではなく、男性としての魅力を否定されることへの根源的な恐れに繋がっている。
エッチ相手の男(同性)
ストレートの男子なら心配することはないが、男に抱かれる女装男子やゲイの人など、エッチ相手が男だった場合には、また異なる種類の恥ずかしさを感じることになる。
女子はアソコ持っていが、男は持っているのでタイマンで比較される状況だ。
男同士には無意識のうちにサイズによる優劣意識が働くので、2つのアソコが並ぶと明確に優劣が決まる。
また、女装男子は「可愛いのに大きい」というアンバランスさが好まれたり、ゲイ界隈のことはよく分からないが「「大きい方がモテる」という固定観念がある。
相手と比較した時の劣等感や、サイズについて言及される抵抗感は、女子との関係とはまた違った心理的な負担になる。これは単なる羞恥心を超え、男性としてのアイデンティティに関わる深い不安に発展することもある。
不特定多数の男性(銭湯・更衣室・トイレなど)
不特定多数の人間がいる銭湯や更衣室、トイレなどの公共空間では、集団の中での相対的な立場が気になる。(通常は不特定多数の女子に裸を見られる状況はありえないので男に見られることを想定)
エコサイズの誰もが経験したことがあるだろう、子どもの頃や学生の頃に銭湯や更衣室でからかわれた経験や、
男社会で培われた「大きい方が男らしい」という固定観念が、知らない男性たちの前で小さいアソコを露わにすることを避けたくなる。
タオルで隠したり視線を避けたりする行動には、集団の中で笑い者にされることへの恐怖が潜んでいる。
この場合の恥ずかしさは、個人的な関係よりもむしろ社会的なプレッシャーに由来する部分が大きい。
知っている男に見られる恥ずかしさ
「見知らぬ男の前では平気なのに、友人や特に職場の同僚にエコサイズを見られるのが最も恥ずかしい」
この感覚もエコサイズの人は共感してくれるのではないだろうか。
更衣室でさりげなくタオルで隠すどころか、温泉やサウナには理由をつけて一緒に入るのを不自然なくらい拒絶してしまう。
男の中でのサイズヒエラルキーが、人間的に小さく見られることを恐れてしまう。
そして、知人ほど恥ずかしさを感じるようになる。なんといっても『グループで一番小さい』なんてことがあると、これからの会社での立場が確実に悪くなる。 とさえ考えてしまう。
これらの状況に共通しているのは、常に「他者との比較」が存在している点だ。
もちろん実際には、自分が思うほど他人は気にしていないことは分かっている。
だが、それぞれの状況における不安は、単なる身体的特徴の問題ではなく、その背後にある社会的・文化的な価値観に大きく影響されている。
恥ずかしさを克服する4つの方法

「男はサイズじゃない!」「小さい=恥ずかしいを捨てよう!」というようなありきたりな言葉を今まで聞いてきたと思う。
しかし、こんな綺麗ごとで、僕らエコサイズの心を落ち着かせることはできない。
のだが、冒頭でも述べたが、
「男はサイズじゃない!」「小さい=恥ずかしいを捨てよう!」こそが真理なのだ。
だが、うわべだけの言葉で分かってもらえないだろう。(心の中では分かっていても)
まずは、エコサイズの恥ずかしさを克服する4つの方法についてザクッと挙げていく。
各項目の詳細については、後述するので確認してほしい。
先手を打つカミングアウト
恥ずかしさの多くは「バレるかもしれない」という気持ちだ。なら、逆に自らカミングアウトしてしまうのはどうだろうか。
カミングアウトをしてしまえば、「バレるんじゃないか・・・」という恐怖から開放される。
とはいえ、「実は小さいのがコンプレックスなんだ」と真面目に打ち明けるのは違う。なぜなら僕らは、「エコサイズ」を気にしていることをバレたくないからだ。
もっと軽いノリでカミングアウトをすることによって、カミングアウト時のダメージも実際に見られた時のダメージも減らすことができる。具体的な方法は後述する。
ショック療法 人前で裸になる経験を積む
恥ずかしさに打ち勝つには、少しずつ慣れていくのが近道だ。
銭湯やサウナに通い、他人の前で裸になる機会を増やせば嫌でも慣れる。そもそも「誰も自分のことを気にしていない」と気づける。
一時的にほんのりサイズアップで自信をつける
どうしても自信が持てない時は、一時的にサイズをアップさせる方法を試してみる手もある。
「一時的なアップは根本的な解決法じゃないよね?」「そもそも一時的にサイズアップなんてできるの?」
これについても後述する。
多様性を知る - 多くのアソコと触れ合う
もっとも効果が高いのがコレだ。「隣の芝生は青い」ということわざをどおり、僕らは他人のものがよく見える。
男のアソコと触れあえば触れ合うほど多様性を感じる。『小さい』「皮が・・・」なんて悩む必要がないことが分かる。
とはいえ、ストレート男子にとっては男のアソコと触れ合う機会はないし望まないだろう。
これらの方法を個々で行うよりも、組み合わせて実践すると効果てきめんだ。
先手を打つカミングアウト でハードルを下げる

「小さいことがバレるのが怖い」という不安を軽減するには、自らネタにすることで、相手の反応をコントロールしたい。
ジョークでさらりと伝える ― 集団でのカミングアウト術
同僚とのサウナ、友人との温泉などの機会に怯えないためにはカミングアウトしちゃうと楽だ。
しかし、真面目に悩みを打ち明けるのは気まずいし、コンプレックスを持っていることに気づかれたくない。
そこで、「笑いのネタ」としてさらけ出せば、相手の反応も自身のメンタルも和らげられる。
ジョークっぽいカミングアウト方法
具体例には・・・
ちょっと思いつかなかったので僕がよく使う技を紹介する。
「さっき、トイレ行ったんだけど、隣の部署の◯◯君、超大物だったよ!僕の3倍くらいあって恥ずかしくなっちゃったよ(照」
大きい人をダシに使っちゃているが、この一言で◯◯君が大物であることよりも僕が小さいことをアピールできている。
TPOをわきまえてカミングアウトをしたい。
僕が冒頭から使っている「エコサイズ」なんて言い方でジョークっぽく伝えてもよいかもしれない。
また、他のエコサイズの人も巻き込んで『エコサイズ同盟』などと称した明るく楽しく自虐グループを作ったりすると怖いものなしだ。
エコサイズ仲間としての愛称を考えるなら、
- エコサイズ同盟
- ミニマリストズ
- コンパクトクラブ
- 精密機器愛好会
- プリティージェントルメン
- コンパクトサイズ同好会
「小さくてもいいんだ」という前向きな気持ち、むしろ誇りを持ち、大きい人は仲間はずれにして(ヒガミを全面に押し出した相手にとっても気持ちのいい仲間外れ)、小ささを逆手に取った仲間集め。いかがだろうか。
その効果は?
これらのカミングアウトを行うことで、後でバレた時のダメージが少ない。
「この人は気にしてなさそう」と思わせることによって、、、なぜだか分からないが心の余裕ができるような気がする。
いや、むしろ「小さいことを自分から告白するなんて、とても人間が大きい!」と思って貰える。(かどうかは分からないが・・・)
また、同性の同僚との温泉などの裸の付き合いだけでなく、職場の女子とのエッチな関係になるとき、なんとなくこういった話を耳にしてくれれば、事前に認識してくれるので安心できる。
注意点としては、あくまで軽いジョーク程度に留め、自虐ネタがくどすぎると『ただの強がり』とバレてしまい痛々しい。
女子とのエッチ前は、ジョークより「本音モード」を使う
正直、今となっては僕にはこのケースでの恥ずかしさが皆無なので何も言わないのがベストなのだが、
それでも、いきなり見られて『小さいと思われるのが怖い』という思いがあるのなら、事前にカミングアウトをしておきたい。
しかし、ジョークでごまかすと「痛い自虐ギャク」に聞こえ、むしろ引かれる可能性がある。
(何かの流れで話すならよいが、聞かれてもいないのに「自虐ギャク」は気にしているとしか捉えられないだろう)
どういう風にカミングアウト?
・昔からコンプレックスで・・・
正直に話してみることで、「打ち明けてくれた」という信頼感が生まれるかもしれない
・サイズには自信ないんだけど、相手を楽しませる努力はしてるつもり
逆効果かもしれないが、あなたのキャラと相手のキャラによっては有効かもしれない
「気にしすぎだよ」とフォローしてくれることを期待。
・小さいのがバレるのが怖くて、人前で裸になるの抵抗あるんだよね
「真面目に話せる人」という印象を与える
・僕の場合、銭湯でタオルが必須なのに、この前ハンドタオルしかなくってさ・・・
その理由を言わずに察してもらう
カミングアウトの効果
出会い方や相手や自身のキャラにもよるが、真面目にカミングアウトが無難だ。
それによって、気にしていることが伝わると少なくとも傷つく言葉を受けるリスクは減らせるだろう。
逆に信頼感や親近感がアップするなど思わぬ副産物があるかもしれない。
また『上記のタオルが必須」や「人前で裸になることに抵抗がある」など、
相手に勝手に「この人そうなんだ」と認識してもらうことによって、すべてを語らず目的を達成することがきるかもしれない。
逆効果になることも認識
そもそも、カミングアウト(というか言い訳)が必要かも考えたい。
愛を確かめる行為であって「あなたのアソコと寝るわけじゃない」のに、そういうことを言われて逆に距離感を感じられたり侮辱されたと感じる女子もいるかもしれない。
女子はみんな男のアソコを詳しいわけではない。
「小さいこと」をカミングアウトしたり匂わせることによって、「このサイズはちいさいんだ」と認識されてしまうこともある。
逆に男のアソコを知り尽くしている女子は、男のアソコの多様性を知っているのでサイズは気にしていないはずだ。
もちろん、巨乳好きの男が多いように、サイズを気にする女子はいるが、それが必須かどうかでいうと・・・
ショック療法 - 人前で裸になる経験

恥ずかしさを克服するためには、実際に人前で裸になる機会を増やし、徐々に慣れていくことが効果的だ。
銭湯やサウナ、ジム更衣室などで自身の裸を晒すことによって、少しづつ慣らしていきたい。
これらの晒す相手は男なわけだが、晒すことに慣れることによって男女関係なく耐性ができる。
段階的にステップアップ
どうしても人前で裸になることに抵抗を感じるなら、
混雑時間を避けたところからスタートし徐々に慣らしていったり、同じ施設に通い続けて常連になることによって環境に慣れればスムーズにステップアップできる。
他にも、
タオルを巻いて隠す→当てるだけにする→ふとした瞬間に見えるようにする→一切隠さず自然に振る舞う
のようなステップアップもよいかもしれない。
アソコを晒すメリット
他人の視線に慣れることによってどうでもよくなる。
そもそも、別に誰も見ていないことや思ったよりも目立たなことに気づけるという収穫もあるかもしれない。
また、後述するが男のアソコの多様性に気づくことができたり、自身がエコサイズではないことに気づくことができるかもしれない。
プロの女子に見てもらう
上記は晒す相手が男だが女子に見てもらう状況に慣れることも必要だ。
とはいえ、上記のように合法的に複数の人に晒すような場所はない。(そんな天国があったら教えてほしい)
ということで、考えられる場所をいくつか挙げてみる。
女医がいる病院
アソコを見せるためには泌尿器科か皮膚科が現実的だが、皮膚科は女医さんの開業医が多い。
夏場に玉袋が蒸れて痒くない?もしかしたら病気かもしれないので・・・
女医さんの前で自らパンツを下ろすことになるので、度胸もつく。
VIO脱毛
VIO(陰部)脱毛をしてくれる脱毛クリニックや脱毛サロンは、上記の病院とは比べ物にならないくらい長時間アソコを晒すことになる。注意すべき点は、施術者が女性であるか確認して店を選ぶことだ。
東京で探すなら↓も参考にしてほしい。
メンズエステサロン(非エロ)
脱毛サロンと似ているが、脱毛はしたくない人はエステも良いかもしれない。
メニューとしては、陰部の黒ずみの対策として美白トリートメントを希望したい。
そのメニューがあるか、男もそのエステに行けるのかを確認する必要があり、その総数は少ない。
また、脱毛よりも高額になりがちだ。
エッチなお店
一般女子の前でアソコを出すのが恥ずかしくてもプロの前なら恥ずかも激減する。
ここで、慣れるのもよいかもしれない。
以上のように、病院やサロンは「プロの空間」なので恥ずかしさも薄れてるので、女子に見られることへの抵抗感を軽減できる。
エッチなお店は少し毛色が違うが同様にプロの空間だ。
彼女らは一日に何人ものアソコを見ているので、何も意識することはない。
まずは、こういった医療や美容の場で、「別に大したことない」と脳に覚えさせたい。
一時的なサイズアップで自信をつける

「小さい」というコンプレックスは、長年積み重なった自己否定の感情となる。
そんな時、一時的に『ほんの少しだけ』サイズアップさせて見た目の変化させると、意外なほど心が軽くなったりする。
サイズアップって?
サイズアップと行っても、手術などをしない限りサイズが明らかに大きくなるようなことはない。
しかし、チントレなどで一時的に少しだけサイズアップすることは可能だ。
詳しくはチントレの方法を調べてほしい。↓でも紹介しているので参考にしてほしい。
なぜ、ほんの少しのサイズアップが自信につながるのか?
微々たる変化をさせれば分かる。
たとえ、他の人より小さくても、いつもより大きいアソコは逆に人に見られたくなるものだ。
鏡で大きい自分を見ることで、自信がついて自然と振る舞いが堂々としてくる。
「これなら大丈夫」という一時的な自信が、長年の劣等感を上書きするきっかけになる。
ただ重要なのは、永遠ではないことがわかっていること。
一時的なサイズアップは、長年閉ざさしていた自己肯定感のドアをノックする手段だ。
一時的だからこそ、その経験を本当の自信の土台として利用しよう。
多様性を知る――多くのアソコと触れ合う

長々と書いてきたが、僕が最も重要だと思うのはコレだ。
実は、僕の学生時代に女装をしてエッチなバイトの給料でやりたかったことは、
『仮性包茎の手術』と『長茎術』だ。
しかし、そのバイトを始めてから、そんな悩みは必要ないことが分かった。(とはいえ見栄のため大きいのに憧れる気持ちは今でもあるが・・・)
サイズや形は千差万別
「自分はエコサイズ」だと悩むのなら、まずは他の男のアソコを触ったり口に含んだり観察してほしい。
といっても、ストレートの男子にはそんなことはできないだろう。
なので、僕が多くの男のアソコと触れ合って悟ったことを紹介させてほしい。
僕がエッチなバイトで男のアソコと触れ合う中で分かったことは、男のアソコは千差万別で、大きさも形も人それぞれで「普通」という概念すら存在しない。というものだ。(仏教の教えにもありそう)
サイズや皮の具合はもちろんだが、硬さや、曲がっていたり、勃起時に下向きに固くなる人、色、毛が生えている範囲・・・
同じアソコなんて存在しない。なのでサイズだって個性としか言えない。
触れ合わなくても多くのアソコを見る
触れ合うのが一番だが、触れ合わなくても多くのアソコを見れば何かが分かってくると思う。
銭湯やサウナなどは、上記で説明した『ショック療法・人前で裸になる経験を積む』ことと同時に行うことができる。
多くのアソコを観察
例えば、銭湯や更衣室では、老若さまざまな男の裸が自然に目に入る。
ここで重要なのは見える人(隠していない人)を見るのではなく全員のを見よう。そこで気づくのは、大きい人ばかりではないという当たり前の事実だ。むしろ、大多数はごく平均的なサイズで、中には自分よりも小さいと感じる人もいるはずだ。
また、自分自身の体を見る時、上から見下ろす形になり小さく見える。鏡で前からや横から見てみてほしい。
比較するとしたら、鏡で見た客観的な自分と比べてみたい。なにかが変わるはずだ。
比較対象を間違えない
注意点としては、比較対象を間違えないことだ。
例えば、エッチなビデオの世界では、大きなモノを持つ男優がクローズアップされる。
現実の平均とはかけ離れているにもかかわらず、それを見て自信を失ってしまう。
また、大きい人ほど、トイレで便器から離れているし、銭湯では隠さないので大きい人は目に留まりやすい。
それだけでなく、更衣室や銭湯でふと周囲を見回した時、自然と視線は「目立つ人」に向かいがちだ。
一方で、平均的なサイズの男は、特に印象に残らない。無意識のうちに「自分より大きい人」ばかりを記憶し、歪んだ比較をしてしまう。
その他の観察方法
他にも素人が投稿しているエッチな動画には、プロの男優と違い等身大のサイズなので比較してみるとよい。
しかもエコサイズでもしっかりと、女子を満足させていることを確認できるので勇気も湧いてくる。
また、美容外科などが公開している包茎手術や長茎手術の症例写真などでも、見ることができる。
わざわざ惨めな人のアソコを紹介していたりするんで偏りなくというより逆偏りだが、無用な劣等感を抱いているのなら見てみて劣等感を薄れさせる手もある。
ちょっとグロテスクな写り方をしているものなども多いのでオススメではないが・・・
「自分は小さい」という思い込みから抜け出すためには、偏りなく観察することだ。
自分と似たサイズの人がたくさんいることに気づけば、自然と劣等感は薄れていく。
数字や統計では納得できなくても、多くのアソコを見れば気持ちは楽になる。
多様性を受け入れると見えてくること

エコサイズと思い込んでいも、実は多様性の中のひとつに過ぎない。
恥ずかしがる必要などないのだ。顔や身長が人それぞれ違うように、アソコの形や大きさも十人十色。
誰かと比べるのではなく、あるがままの自分を受け入れましょう。変えられないものを嘆くより、今ある体と仲良くする方がずっと前向きだ。
と頭では理解しても、やっぱり不安。
「大きい=優れている」という価値観
世の中の一般的な考えは「デカい方がカッコいい」「女は大きい方が好き」という風潮がが溢れている。
だが、本当にそうだろうか?
綺麗事を並べるならこの問いかけの答えは『NO』だが、残念ながら一般的な価値観としては答えはYESだ。
これは紛れもない事実だ。しかし、それは絶対的な優劣ではない。
『大きい=優れている』は絶対的ではない
「アソコのが大きい方が男として優れている」という考え方は、実は他の分野にもよくある「過剰な一般化」のひとつだ。
「ある程度は正しいけど、絶対的な真実ではない」という点で、以下のような例を挙げてみた。
身長 ― 「高い方がモテる」
一般的なイメージでは、 背が高い男性の方がカッコよく女子に好まれる。これは紛れもない事実だ。
しかし、現実そんなに単純ではない。
自身の背が低い女子など「高すぎると話しづらい」「キスしにくい」と感じる人もいる。
そんなことより、「清潔感」「話の面白さ」の方がどう考えても重要だ。
「背が高い=絶対的に優れている」わけではない。
筋肉量 ― 「ムキムキが最強」
一般的なイメージとしては、筋肉質な男性の方が男らしくて魅力的だ。僕だってそう思う。
しかし、現実的には 過度な筋肉は「怖い」「不自然」と感じる人もいる。
細マッチョやスリムな体型を好む女子も多い。
マッチョも普通もガリガリも個性でしかない。
料理の辛さ ― 「辛い方がうまい」
激辛カレーや唐辛子たっぷり料理の方が本格的だ。
しかし、人によって許容できる辛さは違う。「ほどよい辛さが好まれることもある。
辛すぎると味がわからなくなる。
「辛ければ辛いほど良い」わけではない。
カレーなどの本来辛い料理でも、激辛・中辛・甘口など人によって好みが違う。
車の大きさ ― 「デカいSUVがかっこいい」
一般的に考えて、大きい車の方が威圧感があってカッコいい。
しかし、別に山道を走るわけではない。街中を走るだけなので必要ない。
「大きい=かっこいい」という見方もあるが、大きい車が必要という訳では無い。
収入 ― 「稼ぎが多いほど偉い」
上記とはちょっと毛色が違うが、高収入の男の方が社会的に尊敬される。これも紛れもない事実。
だが、 収入が高くても人間性に難があると友達になりたくない。
収入は大切だけど、他にも大切なことってイッパイあるよね?
「お金=絶対的な価値」ではない。
★「ある程度は正しいが、絶対的ではない」
これらの例はすべて、
「一般的には〇〇の方が好まれる傾向がある」(事実)
「でも、絶対的な優劣ではない」(真実)
という構造だ。
アソコの大きさも同じで、「多少の傾向はあっても、それで人生の価値が決まるわけではない」のだ。
実際には、
- 好みは人による
- 大きすぎると困ることもある
- そんなことより他の要素の方が重要
という現実がある。
「大きい=優れている」という価値観は、あくまで一つの傾向でしかない。
身長や筋肉、収入と同じように、確かに好まれる傾向はあるが、絶対的な優劣ではない。
大切なのは、大きい小さいではなく多様な個性と受け入れること。人それぞれの良さがあり、それこそが人間の豊かさだ。
女子に小さいと思われるのが怖い
「エッチになったときに女子に『小さい』と思われたらどうしよう・・・」
「職場など同じコミュニティの人に小さいことをバラされないだろうか」
女子は本当に気にしているのか?は、女子の立場になって考えてみれば分かることだ。
それが難しければ『エコサイズ』を『貧乳』に置き換えて考えてほしい。
- サイズより相手の性格やテクニックや相性を方がどう考えても重視だ
- 「小さい」と感じても、それが即「魅力なし」には結びつかない
- 「大きい方がいい」発言は、必ずしも絶対条件ではないし本心でない場合もある
つまり、「小さいと思われる=終わり」ではない。
以前、女性目線で書いていただいた↓も参考にしてほしい。
ガールズトークでの会話についても↓
↑を見ると「女子ってやっぱり怖い」って側面もあるが、安心できる部分も多々ある。
女装男からみた男のアソコ
ちなみに、女装をして男のアソコ向き合うことが多い僕の思いも伝えたい。
やはり、僕のアソコと相手のアソコは比較してしまう。
そして相手が『大きい』「同じくらい」「小さい」かは、やっぱり興味がある。
しかし、やはりサイズは個性にしか思えない。
とはいえ、明らかに大きかったら「うわぁー大きいぃ」と声をあげるが、別に優れているとも思えない。
小さいと「可愛い!」とキュンとする。(気にするかもなので相手によっては声には出さないが)それが優れているとも劣っているとも思えない。
逆に、大きかったり勃起時に曲がっていたら咥えにくかったり、お尻が心配になる。(お尻に挿ってくることは断ったりする)
「大きいから」「小さいから」相手を見る目が変わるか?というとNOだ。
アソコを見る前に、人間性などを見ている訳でサイズはただの特徴だ。
ただ、「こういう人なのに意外とこうなんだ」といった、その人の普段は見えない部分をみた親近感などはある。
逆に相手からの見られ方だが、
僕の方が小さい場合(ほとんどこのパターンだが)、「カワイイね」って言われると嬉しい。(女子に言われると嫌かもしれないが)
女装男子を好きな男は、女子の見た目で立派なアソコというアンバランス差が好きなことが一般的なはずだが、実際会って1対1の人となった場合、そんなことは関係ない。
まとめ
- サイズは個性なので、気にする必要はない
- それを気にしすぎる態度の方が引かれる
- もっと大事なことを磨く(コミュニケーション、清潔感、雰囲気など)
- もし体系で否定されたら「そんな人とは付き合わい」と割り切る
アソコの大きさや形は指紋のように一人ひとり違うものだ。
大切なのは「現実の多様性」を知り、無意味な比較をやめること。
世界に全く同じ体の人は存在しない。そして「自分の体はこれでいい」と心から思えるようになることだ。
最後は臭い決め台詞で『みんな違ってみんなイイ』