
浅草は、人が多い。
それなのに、女装での外出デビューにも使える、少し不思議な街だ。
観光客が多く、情報量が多く、視線が流れる。
着物、コスプレ、外国人、修学旅行生。
誰も他人をじっくり見ていない、女装外出のハードルが低い街だ。
女装で出かけても、浅草では特別な存在ではない。
受け入れられるかどうか以前に、観光という大きな流れに紛れてしまう。
この街で起きるのは、変身ではない。
外国人が多く、あらゆる人種、あらゆる言語、あらゆるファッションの中で、女装という属性が、街の力で薄まらせてくれる。
浅草は、女装という属性が観光に溶ける街
浅草では、女装は主張にならない。
- 人が多い
- 情報が多い
- 視線はあるが流れていく
周りには、
着物を着た観光客、コスプレ、外国人、修学旅行生。
女装で歩いていても、浅草では「女装している人」になりにくい。
観光客が多く、街の情報量が多すぎて、他人を精査する余裕がないからだ。
パス度が高くない女装でも、
浅草ではただの観光の一部として処理されてしまう。
見られてはいるが、判断されていない。
ある程度パス度がある女装の場合、
そもそも人のことを一人ひとり見ていないため、女装かもしれない、という精査にすら入らない。
浅草では、気づかれないのではなく、見られていない。
これは、溶け込むという感とも少し違う。
女装という属性が、評価される前に無効化される。
なので浅草では、パス度や完成度を意識する必要が薄れる。
うまく見せるより、流れに乗るほうが楽になる。
『浅草が女装向きかどうか』の前に、この街ではあまり『女装』に意味を持たない。
女装を特別扱いしないのではなく、特別にする暇がない街だからだ。
雷門から浅草寺まで、とりあえず歩けば成立する
浅草に来たら、行き先は決まっている。
雷門をくぐって、仲見世を通って、浅草寺。
理由はいらない。
浅草なんだから、当然そうなる。
女装で来ていようが、私服だろうが関係ない。浅草なんだから!
雷門|ここに立った時点で、もう説明はいらない
雷門の前に立っている人間は、全員「浅草に来た人」だ。
- 写真を撮る
- 立ち止まる
- ウロウロする
- キョロキョロする
雷門の前では、これをやっていても何も浮かない。
むしろ、やっていないほうが不自然だ。
女装しているかどうかは、ここでは判断する対象にすらならない。
挙動不審も上等、ただの浅草の風景だ。
だって、雷門の前なんだから!

僕が浅草に行くと、たいてい雨
仲見世通り|買わなくてもいい、歩くだけでいい
仲見世通りは、何かを買うための場所ではない。
少なくとも、買わなくても誰にも何も言われない。
- 立ち止まらずに歩く
- 前を見る
- 人の流れにそのまま乗る
それだけで成立する。だって仲見世通りなんだから!
「何してる人?」なんて視線は飛んでこない。
歩いている時点で、もう正解だからだ。
女装で街を歩くとき、理由がいらないというのが、かなり楽だ。
仲見世では、その安心感が最初から用意されている。
浅草は、歩き方を考えなくていい街
仲見世を抜けたら、浅草寺だ。
なにも考える必要はない。そういう流れになっている。だって浅草なんだから。
- 参ってもいい
- 参らなくてもいい
- 眺めるだけでもいい
- 写真を撮って、満足して引き返してもいい
- 境内を一周して、なんとなく帰ってもいい
- 人の多さに圧倒されて、手前で止めてもいい
- おみくじだけ引いて終わりでもいい
浅草に来たなら、気づいたらここに立っている。
それだけで話は通じる。
そして、女装でここに立っていても理由を求められることはない。
立っているだけで、もう浅草だ。
浅草が歩きやすいのは、優しいからではない。
みんなが同じことをしている街だからだ。
浅草では、観光の流れに乗ればいい
浅草では、街の側で最初からいくつもの『過ごし方』を用意してくれている。
女装している自分を説明する必要も、うまく溶け込もうとする努力もいらない。
その日、その場で、街が差し出してくれている過ごし方に身を預ければいい。
寺社仏閣|女装が空気に溶ける場所
浅草寺だけが目的地ではない。
その周辺には、規模の大小を問わず寺社仏閣が点在している。
寺社仏閣は、女装と相性がいい。
服装や完成度よりも、場の空気や所作のほうが大切にされる場所だからだ。
静かに歩く人もいれば、立ち止まって眺める人もいる。
浅草寺のすぐ隣にある浅草神社のように、賑わいのすぐ横に、落ち着いた時間が並んでいる。
こういった寺社仏閣は、浅草を一日使える街にしてくれる。
人力車|歩かないけどアグレッシブな観光
人力車は、歩かないための手段ではない。
むしろ、歩くよりずっと街に入り込める体験になる。
街の真ん中を走り、視線を集め、浅草を丸ごと通り抜けていく。
それでも、不思議と気は楽になる。
乗った瞬間に、「観光を楽しんでいる人」になれるからだ。
人力車のお兄さんは、街の話をしながら、普通に会話をしてくれる。
女装で外に出ていて、こういう距離感で会話が成立する体験は、浅草ならではだと思う。
着物レンタル|女装でも、普通に選べる
浅草には、観光客向けの着物レンタルが当たり前にある。
その中には、女装でも問題なく女性用の着物を借りられる。
実際に、飛び込みで聞いてみても女性用の着物のレンタルと着付けは普通に可能だった。
ここでは、それが特別な対応にならない。
着物姿の人が多すぎて、性別を細かく気にする意味がない。
女装として着る、というより浅草という街に乗る感覚に近い。
浅草は、選ぶだけで時間が流れる街
寺社仏閣を巡る。
人力車に乗る。
着物を着る。
どれも、気合を入れて決める必要はない。
浅草が最初から用意している過ごし方を、その日その場で選べばいい。
目立ってもいいし、落ち着いていてもいい。
女装で出かけるとき、こういう選択肢が自然にそろっている街は、意外と少ない。
神聖と猥雑こそが猥雑
浅草は、きれいな場所だけで終わらない。
浅草寺の賑わいから、ほんの少し歩いた場所に、浅草24会館が普通にある。
違和感はない。むしろ、それこそが浅草だ。
神社仏閣があって、観光客がいて、人力車が走って、そのすぐそばに24会館だ。
寺や神社で、気持ちを静かに整える。
人の流れから少し外れて、呼吸が落ち着く。
清らかになったあとに、汚れた側へ行くのではない。
清らかになったからこそ、そちらへ行けるのだ。
祈って、歩いて、覗いて、終わる。
もちろん、それもアリだが、そこから猥雑に踏み出すこともできる。
それが浅草だ。
着替えと待ち合わせ|浅草を使い切るための現実ポイント
浅草は歩いて楽しい街だけど、
長時間になると、どうしても現実的な拠点が必要になる。
着替えと合流とクールダウン場所。それが安定すると、街歩きの自由度が一段上がる。
着替え|浅草ではネットカフェが一番現実的
着替え場所として一番使いやすいのは、快活CLUB のようなネットカフェだ。
完全個室で、人の目を気にせず着替えられる。
時間調整もしやすく、荷物の整理もしやすい。
浅草は観光地なので、ロッカーは多い。
快活CLUBなどのネットカフェで着替えてから、外に出るとそこら中にコインロッカーがある。
快活CLUBの活用の仕方は↓で書いているので参考にしてほしい
👉 快活CLUBは女装男子の強い味方!外出デビューや拠点に最適
待ち合わせ|目立たず、説明しなくていい場所を選ぶ
浅草は人が多い。
なので、待ち合わせ場所は「分かりやすい」より「落ち着く」を優先したい。
たとえば、カフェベローチェ のようなチェーン系のカフェ。
おしゃれなカフェより観光客が少なく地元寄りの空気がある。
一人で座っていても不自然にならない。
待ち合わせのためだけではなく、観光の合間のクールダウンやメイク直しの場所としても重宝する。カフェに入って一息つくことで、気持ちと見た目を整え直せる。
浅草は、次に切り替えられる街でもある
ここで終わってもいいし、ここから続けてもいい。
スカイツリーへ|観光のテンションを保ったまま続ける
浅草からなら、東京スカイツリーは無理のない延長にある。
歩いてもいいし、地下鉄を使ってもいい。人力車での移動も可能だ。
浅草で出来上がった観光のテンションを、そのまま持ち越せる距離だ。
浅草は下町で、スカイツリーは現代的。
空気は違うが、流れは切れない。
女装で歩いていても、観光のがそのまま続く。
「次の目的地がはっきりしている」というのは、外に出ている側にはかなり楽だ。
浅草を起点に、観光を続けたいなら、スカイツリーはちょうどいい。
上野へ|観光から日常に切替える
反対方向に向かえば、上野がある。
上野は観光地でもあり、同時に生活圏でもあり、女装の聖地でもある。
浅草より人の動きが雑で、目的が分散している。
浅草で観光を一度味わってから上野へ出ると、空気が少し緩む。
女装で歩いていても、「観光している人」から「街を歩いている人」へ戻れる。
博物館や公園に向かってもいいし、ただ歩いてもいいし、『あの山』や『あの映画館』という選択肢もある。
浅草は、分岐点として使える
スカイツリーに行けば、観光は続く。
上野に出れば、街に戻る。
どちらを選んでも、浅草での時間は無駄にならない。
浅草は、ゴールにもなるし、スタートにもなる。
だから女装で外に出るとき、浅草は選びやすい。